茨の繭

読書メモ兼日記帳。書評らしきものを書いてはいるが中身は何も理解していない

『外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か』 感想

 外国語の習得に苦しむ人間は、下は高校受験を控えた中学生から、上は仕事上の必要に迫られて学生時代のテキストをひっくり返す社会人まで世代も人種も選ばず数多く存在しているだろう。(というか存在していて欲しい。できないのはお前だけだ。というオチは、はたから見てるのが楽しいのであって、自分が当事者の時には悲しみしか生まない)

 かく言う僕もその一人である。何の自慢にもならないが、僕は英語がさっぱりできない。高校時代から毎度赤点スレスレを低空飛行していた(たまに墜落するのはご愛嬌)筋金入りなので外国語学習には本当に苦い記憶しかない。大学入試の際に成績の開示請求はしなかったので詳細は不明だが、成績を見ればきっとそこには日本史と国語で得点ウェイトのほとんどが占められたデータが記載されていたはずだ。

 大学に入っても英語はついて回る。英語の講義は当然のことながら、英語文献も読まなければならないし、苦しいことこの上ない。英語を世界に広めて回った大英帝国を恨んだ日とて一度や二度ではなかった(完全なる責任転嫁)。

 だいぶ前置きが長くなってしまったが、そういうわけで自分の英語の不出来さ加減を改善すべく『外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か』という第二言語習得理論に関する本を読んでみた。何か外国語学習の助けになる実践的なヒントがあれば、という実用性重視の気持ちで読み始めたのだが、これが望外の面白さだった。作者の文章には特に冗談を言っているわけでもないのにどこかユーモラスな趣があり*1、具体例を交えながら説明してくれるので理解しやすく、もともと言語学に対する興味があったことも手伝ってかすらすら読めた。ただ、興味深い話も多く(文化的背景が言語の使用に影響するという「語用論的転移」など)*2読み物としては楽しめてよかったが、本書を読むことになったそもそもの動機、即座に外国語学習に応用できる知識などは見つからなかった。

 一応そのような知識にも言及されていないでもなかったが、その辺りは受験を控えた学生に先生が贈るような常識的な範囲のことにとどまっていたため、この本を読んで外国語学習の最新理論に従って効率的な学習に取り組むぞ! と意気込む人にはあまり参考にはならないだろう。「じゃあ第二言語習得理論なんて無駄じゃないか」という方のために擁護しておくと、学問的な観点からの確実に効率的な学習法というのが示せないのは、第二言語習得理論の歴史自体がまだ浅くいまだ発展途上にある学問領域のためであって、将来的にそのような完成された学習理論ができることはありえなくはない。

 まあ、どうやら学問に近道がないのと同じように、外国語学習にも近道はないようだ。まだしばらく外国語難民とでもいうべき僕の苦難は続くらしい

*1:この自然にユーモアが漂ってくる文章はどこかで見た覚えがあるなあと思っていたら佐々淳行を思い出した。彼もユーモアが自然に湧き出てくる不思議な文章を書く

*2:サピア・ウォーフの仮説に近しさを感じる。もっともサピア・ウォーフの仮説は言語が人間の営みに影響を及ぼすとするため関係性があべこべだが